日本語入力プログラムについて

Mac の日本語 IM として有名な「ことえり」は、寂しいことに Yosemite で姿を消した。今は「日本語入力プログラム」という名前になっている。
 macOS 10.14 Mojave の世にいまさらだが、最近、日本語入力プログラムを使うことが増えてきて、いろいろ考えさせられる。以下の文章は単なる感想だ。

ライブ変換

日本語入力プログラムは、ライブ変換の登場で、劇的に心地良いものに変わった。
 ライブ変換というのは、スペースキーを押さなくても、勝手に漢字変換をおこなってくれる機能である。ライブ変換が間違えた時だけ、スペースキーを押して修正する。間違えてなければ、書き続けていけばいい。文章が進むに従って、変換箇所は確定されていく。エンターキーを押す機会もかなり減る。
 使い慣れてくると快適で、くやしいくらいだ。
 従来の方式の打ち心地とも AquaSKK の打ち心地とも違う。なんか新しい感触がある。

今までにない感じ

ひらがなを打つだけ、それだけで文章が勝手にできていく感じなのだ。するすると文が完成していく。この感覚は今までにない。まずとても楽だ。なんか面白い。そして入力速度が早い。
 最初はそうでもないのだ。
 筆者は文芸創作の際、「言う」という字をあまり使いたくないので、いつも「いう」と書く。これをいちいち修正しなくてはならない。日本語入力プログラムは、他の日本語 IM 同様、この修正を覚えてくれる。
 細かく漢字を直していけばいくほど、確実に賢くなって行き、ライブ変換の精度は上がっていく。ますますスペースキーを押す頻度は減っていく。使いこむと、背中を任せても安心な「相棒感」を得られるようになってくるのだ。

筆者はここ数年、AquaSKK を使ってきた。エディタの縦書き機能を確認する機会が増えてきて、その時だけは「日本語入力プログラム」を使用するようになった。日本語入力プログラムは縦書きに対応しているのである。
 OS 標準のインプットメソッドではあるが、久しぶりに使うと、使いづらくて、入力速度も遅かった。筆者の AquaSKK での AZIK の癖のせいかと思ったが、それだけではない。日本語入力プログラムの方は、自分が今なにを書いているのかわからなくなる時があるのだ。これはなんだろう。
 おそらく、変換箇所をチェックしているときなのだ。
 その時に、ちょっとだけ気がそれて、自分がなにを書こうとしているのか、見失っているのである。その証拠に、書くことが頭のなかではっきりしていれば、あまり意識しないまま書いていける。あやふやなことを書こうとしている時は、なんかきゅうに入力につまずいてしまう。
 これは筆者の頭が、AquaSKK になじんだせいもあるだろう。

日本語入力プログラムに AZIK のローマ字テーブルを適用できないのは残念だ。Googleで検索してみると、できなくもないらしい。しかしあまりお手軽な感じがしない。慣れてきて感じたことだが、もし AZIK を使えたら、筆者にとってほとんど完璧になったと思う。
 ライブ変換はそれほどのインパクトがある。これのおかげで、他の日本語インプットメソッドより、一歩抜きん出てしまったとさえ思う。ことえりは、その漢字変換の精度の低さからよくネタにされ、誤変換を扱った本にもなっていた。
 そのころを思い出せば隔世の感がある。
 

正確な日本語へ向かう傾向

日本語入力プログラムは、文脈にそって漢字を決定するものらしい。それがわかっていると、なんとなく、ライブ変換におもねるというか、こう書けば間違えた漢字に変換しないだろうな、という文章を書いてしまいがちになる。
 これは文芸創作にとってはあまり感心できないことかもしれない。コンピュータのプログラムに影響されるというのは、表現の束縛だろう。
 しかしライブ変換におもねった文章は、たしかに明晰になる、気がする。
 この点、AquaSKK は自由すぎるので、文法や打ち間違えなんか完全無視で突っ走れてしまう。
 小説などは、そういう勢いのある、叩きつけるような文章の方がいい場合が多いと思う。しかし、誤字脱字についてはあきらかに、AquaSKK の時の方が多い。打ち間違えはおまえの問題だろ、といわれればその通りなのだが。
 日本語入力プログラムは、漢字変換のミスを捜す過程で一度、文の見直しをやっている。それもまた効果をおよぼしていると思う。

単語登録はシステム環境設定でおこなう

AquaSKK と大きく違うな、と感じさせられるのは、単語の辞書登録だ。
 お手軽なのは断然 AquaSKK で、なにしろ編集中に、その流れでユーザ辞書に単語を登録できる。これは反面、それだけ単語登録が必要な場面がある、ということを意味してもいるだろう。
 日本語入力プログラムのほうは、そもそもそこまで単語登録しなくても、適切な変換をしてくれる場合がほとんどだ。魂魄妖夢、とか出てきてくれるのである。
 しかし、それにしても。
 単語登録をする場所がシステム環境設定ってこたぁないだろう。小説を書くとき、特にファンタジー小説なんて固有名詞の連続だ。その都度システム環境設定を開くなんて、少し馬鹿らしい。

と思うが、たとえばアルクトゥルス・スラッシャーというラノベっぽいの技名があったとして、これをそのまま打つと日本語入力プログラムはちゃんとカタカナに変換してくれる。なんかそこそこ懐が深いのである。

とはいえ、まだ AquaSKK

筆者は、まだ AquaSKK をメインにしていくつもりだ。
 指がそっちに慣れているし、やはり、変換をコンピュータに任せる方式は、薄皮一枚はさんだようなもどかしい感じがある。
 AquaSKK は反応がきびきびしていて打っていて気持ちいい。漢字にするか、ひらがなにするか、その場で、自分で選べるというのは、文章にじかに触って、ちゃんとコントロールできている感じがある。
 日本語入力プログラムは、漢字変換のチェックをするため、打ちこんだ部分に目を戻さなくてはならない。それも、どうも引っかかる。年のせいか、漢字の変換に間違いないか確認していると、なにを書こうとしていたのか忘れてしまうのである。

この文章はすなわち、しばらく使ってないうちに、日本語入力が進化していて驚いた、といっているに過ぎない。慣れれば、ほとんどシームレスといっていいほど、滑らかに文章を書けるのだ。繰り返しになるが、ひらがなを打ちこむだけで勝手に漢字変換してくれるのである。
 筆者はなにかのきっかけがあれば、この日本語入力プログラムをメインにすると思う。
 仮にそうなったとき、自分が今以上の馬鹿になるかも、という懸念はあるが。