macOS 11 Big Sur は可愛い
m1 チップ搭載の MacBook Air を買って Big Sur という新しい OS を使いはじめた。この OS、ちょっと可愛くなった気がする。
確かにちょっと変わったな、という実感はある
Apple のサイトで Big Sur の紹介を読むと、いつものアップル節で「おらおら、こんな良くなったんだよ!」と煽り運転ばりに煽ってくる。
訓練されたマカーなら鼻で笑うに過ぎないが、しかし今回だけは確かに変わったんだろうな、という実感がなきにしもあらず。
今まで Intel で動いてたのを Apple シリコンで動くようにしたんだから、そりゃ大幅に変わったろうし。
しかしここで考えたいのは、難しい話抜きにしても、アイコン可愛くなったよね、という話なんである。
アイコンと効果音が可愛くなった
実感できる Big Sur の新しさはここにつきる。
アイコンと効果音の刷新。
アイコンは角丸の正方形に統一された感じ。
効果音は、率直にいって今までのは耳障りに感じることあったからね。ディンッ! とかバシッ! みたいな鞭の唸り的な音が多かったと思う。
新しい効果音はもの柔くなり、不快感を与えないよう最大限配慮されていると感じた。
なんかこう、ほょん、みたいな感じ。
ファイルの移動や、削除の音、スクリーンショットのシャッター音も変わった。
スタートアップ時の「ヴォーン」も、なんかリッチな音質になって復活している。
あと、ウィンドウの角丸がやや強調された印象だ。
Mac の角丸を見ると、ウォズがジョブズに文句つけたエピソードを思い出す。Apple 創業からまもない頃の話だと思う。
「ジョブよぉ」みたいなことを、ウォズニアックはいったらしいのだ。「この角丸ってやつ? 意外に面倒だよ。いるか? これ」
ジョブズはウォズニアックを手招きし、外に連れ出し、歩道のブロックなどを指差しながら、世の中にいかに角丸があふれているか、諄々と説いたという。
「面倒でも、先んじてやっとけば差がつくから。な?」
的なことをいわれて、ウォズニアックも納得したらしい。
筆者は正直、その時点ではウォズのほうが正しかったんじゃねーかな、と思うけど、まぁいいエピソードだと思う。そうなのだ。Mac はけっこう、ウィンドウの角が丸かったりするのである。
Mac の可愛さは久しぶり
筆者の考えでは、Mac OS X は、可愛さの否定から始まった気がする。
なぜ OS X は可愛さを否定せねばならなかったか、というと旧 MacOS が可愛かったからである。
初代の iMac ボンダイブルーなんか愛くるしい姿をしていた。そのころの OS は確か、MacOS 8.5 あたりと記憶している。
しかし Apple はその頃、古い物を捨て去らねばならない時期なのだった。
Apple に返り咲いたジョブズは辣腕をふるい、可愛かった旧 OS を棺桶に叩きこんだ。
ジョブズの再来からまもなく OS X がやってきた。チータ、ジャガー、パンサーとかの時代である。OS X になると、Mac は可愛さよりクールさを前面に出すようになった。筐体は白いポリカーボネートから銀のアルミになり、アイコンはリアルな質感みたいなものを表現するようになってきた。
OS X の UI も一時はアルミっぽかった。
あの頃 Apple が世間に訴えるべきは「可愛さ」や「親しみやすさ」ではなかった。堅牢性であり安定性だった。OS X になって Mac は本当に落ちなくなった。フリーズしない OS になったのである。
世間はもう Windows xp に殺到しており、築かれたデファクトをくつがえすには至らなかったとはいえ、OS X はバージョンアップを重ね、高機能かつ信頼できる OS へと成長していった。
これを世に知らしめるべく、Mac は見た目ガッチリしてきた。プロっぽい、本格志向みたいなものを醸すようになってきた。正確無比に組み合わされた UI のなかに可愛さがひそむ隙間はなくなっていた。
それでも Mac の可愛さは死に絶えたわけではなかった。
たとえば eMac は可愛かったし、Mac mini、MacBook Air 11 インチも可愛かった。eMac はともかく、Mac mini と MacBook Air はジョブズに愛された機種である。筆者は、Mac の可愛さはジョブズによって命脈を保っていたのではないかと想像している。
Apple が遺伝的に持っていた可愛い物好きの感性は、意外なところで花開く。
iPhone である。
iPhone は、なにより史上初のスマホだった。ヒットした要因はまずそのインパクトであったかもしれない。または操作性や、きちんと動作する信頼性も大きいと思う。
でもやはり、iPhone は見た目、かっこ良かったのである。
iPhone は Apple が生来的に持っていた「可愛さ」の位相を「おしゃれ感」みたいな方向にずらして展開された。
iPhone のホーム画面の、にぎやかな祝祭的な雰囲気は間違いなく「アガるー」ことを求める、おびただしい数のひとびとを魅了した。iPhone は控え目にいって大成功したのだ。IT に詳しくないひとも、iPhone のアイコンを羅列しただけの良さげな雰囲気は感受した。デザインは正しく機能したのである。
つまり筆者は、Mac がしばらく距離を置いていた可愛さ遺伝子が iPhone や iPad に保存されており、それが Big Sur においてふたたび合流したのではないか、と思ったのだ。
「iPhone や iPad と似たようなチップで動くようになったから、Big Sur はデザインを一新して iPhone っぽくしようぜ」
みたいなことなんだろう。その結果、Mac は遠ざけていた可愛さ遺伝子を久しぶりに迎えることになったのではなかろうか。
という話なんである。
以上、なんのエビデンスもない妄想であり、恐縮する気持ちは、わたしにもあります。
まぁとにかく、効果音は良くなったよ。
メニューバーにコントロールセンターも設置されたし、Safari のスタートページに壁紙を設定できるようにもなったし、全体的に良くなったんじゃねーの?
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